スマートノート”KOJIRO”を買いました。スマートノートとは、書いたことをデジタルデバイスにリアルタイムで移すことができるノートです。私はノートが好きです。ペンが好きです。書くことが、好きです。今使っているノートはRHODIA、ペンはパイロットの万年筆。今のところ、この組み合わせが一番心地いい。

書くことは考えることです。誰しも考え事をすることはあると思います。その時は、きっと頭の中に文字を書いています。書くことなしに、考えることはできないはずです。そして、”ノートに書く”ということは、頭の中を現実世界に出力することなのです。小さい頃にこんな経験をしたことはないでしょうか。

「頭の中では、自分ではわかっているんだけど、人にはうまく伝えられない!もどかしい!!!」

私は幼い頃、人並み以上にこの経験をしました。私が小学2年生の時に、弟が生まれました。母親は赤ちゃんである弟につきっきりであり、私は少し寂しい思いにかられました。寂しいけど、弟は小さいから仕方ない、わかってる、わかってはいるけど、私が寂しい思いに駆られていることもまた事実。こんな複雑な気持ちを伝えるための言葉を、当時の私は持っていませんでした。頭の中にはもやもやがあるものの、そのもやもやを伝える手段を持っていなかったのです。

”ノートに書く”ということは、この頭の中のもやもやを人に伝える訓練です。書けば書くほど、人に自分の気持ち、考えを伝えることがうまくなります。だから、私は書くことが好きなのです。

脱線しました。私がスマートノートを買った理由は、ノートを書くことのもう1つの意味にあります。ノートを書くことの意味は大きく2つ。1つは、先ほど述べた考える訓練として。そして、もう1つは、記録をするためです。私は、ノートに書いて自分の考えを世界に出力することは数多くしてきているものの、もう1つの記録をするということはとても苦手でした。なぜなら、ノートでの記録は管理が面倒だからです。たとえば、毎日ノートを1ページずつ書くとします。そのノートには思いついたこと、自分の考えを吐き出すため、書いてあることに統一性はありません。つまり、どこに何が書いてあるのかがまったくわからないのです。また、ノートには目次もないため、重要なことを書いたとしても、その重要なことがどこに書いてあるのかはぱっと見わからないのです。もちろん、わかりやすくするためにノート目次をつけたり、付箋紙をつけることはできるでしょう。ですが、目次は更新をするのが面倒臭いし付箋紙はノートがかさばるのでつけたくないのです。だったら、紙のノートを使わなければいいじゃんと言われそうですが、それでも紙に書くことが好きです。スマートフォンで文字を書くには遅すぎますし心地よさがありません。パソコンのタイピングには心地よさはありますが、持ち運びの手軽さと起動の面でノートに劣ります。また、デジタルは機能が多すぎるという面もあります。この多すぎる機能は、私の集中力を奪っていきます。ノートは書くことしかできない。機能が1つしかない。だからいいんです。

とはいえですね、パソコンには可能性を感じてもいます。正直、ノートに書くよりもタイピングの方が文字を生み出す速度が速いですし、負担も少ない。それでもなぜ、ノートを選ぶのか?を考えてみました。ふと思いついたのが、生み出される”文字”に味があるかどうか。ということではないか?という仮説です。タイピングは、誰が叩いてもパソコンに同じ文字が生み出されます。たとえば、とても丁寧に時間をかけてタイピングをするおばあちゃんがいますよね。一方で、寿司打でランキング1位をとるようなタイピングの魔術師も存在します。この2人が生み出す文字は、まったく同じものなのです。しかい、ペンで書く文字は違います。そこには人それぞれの個性があり、味が生まれる。この味というのが、アナログとデジタルを隔てる壁なのではないでしょうか。

そこで考えたのが、デジタルへの味付けです。たとえば、タイピングで生み出される文字に差があったらどうなるのでしょうか。丁寧にタイピングをするおばあちゃんが生み出す文字には温かみがあり、たとえばロボットが生み出す機械的にタイピングされた文字にはその冷たさがあるとしたら。デジタルの良さは、一般化された文字を多く生み出すことにあると思いますが、一部、そんな温かさを生み出すパソコンがあってもいいのではないかとも思いました。

ただし、それで個性を表現するにはひとそれぞれ、その時に沿った文字に変換をする機能が必要だと思うので難しいのかもしれませんね。細かい調整をするにはやはりアナログに劣ります。

結論、だからわたしは書くことが好きです。

以上