ウルフギャングに行った。先輩に連れて行ってもらった。ものすごくよかった。
丸の内の地下にあるその店は、受付に4人の女性が立っていた。「えええ、キャバクラやん。」と面食らっていると、上着を脱がされた。どうやら、料理の匂いがつかないように受付で上着を預かってもらえるらしい。(綺麗な女性に上着を脱がされるなんていつ以来だろうか、、、)と人生を振り返ったところ、そんな経験はなかったことに気づいた。
そのまま席へ案内される。店内は心地の良い賑やかさで満ちていた。高級店にもかかわらず、嫌な緊張感とはまるで縁のない、良い雰囲気だ。まだ一品も料理を味わっていないが、この時点で帰ったとしても星4くらいの満足度である。
肝心の料理の話に移ろう。まず初めに、パンが来た。パン美味しい。正直、このパンだけで一冊の本が書けるくらいにパン美味しい。4種類くらいのパンが、カゴに入って出てくる。当然パンの名前はわからないが、黒いパンに硬いパンに丸いパン。付け合わせのバターと一緒に食べると、口いっぱいに小麦の甘みが広がる。最近、「君たちはどう生きるか?」という映画を見た。かなり抽象的で、人によって感想が分かれる解釈の自由度が非常に高い作品だ。つまり、人の数だけ感想があり、人の数だけ作品が広がっていく。ウルフギャングのパンは、それと同じだ。口いっぱいに甘みが広がり、世界に繋がる。そんなパンだった。
次に出てきたのは、エビ・カニ・ロブスター。ただ一言、食感が秀逸だった。過去に比較対象がないため表現が難しい。例えるなら、輪ゴム。子どもの頃に遊んでいた、あの茶色の細い輪ゴム。あの輪ゴムを両手いっぱいに集め、それを思いっきり噛む。噛んだ歯は、凄まじい弾力弾き返され、顎とともに吹き飛ばされるだろう。しかし、あの輪ゴムが噛んだ1秒後に1本ずつぷつぷつと切れていくとしたらどうだろう。1秒であれば、顎の筋肉が輪ゴムの弾力に負けず、吹き飛ばされない。そして、1秒間耐えたのちに、ぷちぷちと最高の瞬間が訪れる。そんな輪ゴムが存在したらいいのに。と願う人が、歴史上どれほどいただろうか。残念ながら、そんな輪ゴムは存在しないのだ。いえ、あります。それが、ウルフギャングのロブスターなんです。
次に出てきたのは、サラダ。しおらしい野菜にジブリ肉みたいなべろんとしたベーコン、その上にいい感じのチーズがのり、最後にウェイターさんがかけてくれるブラックペッパーのおまけつき。普段サラダなんて食べないが、なんとなくのサラダのイメージはあくまで前菜。決してメインではない、前菜。そう思っていたが、違った。ウルフギャングのサラダはもう主役。ウルフギャングだから前菜の位置に甘んじているが、他の店であればもう主役。スラムダンクで言えば松本。山王で、同じチームに沢北がいるからエースの座は譲っているが、山王以外のチームであれば間違いなくエース。ウルフギャングのサラダはもう松本。
次に出てきたのは、スープ。輪ゴムロブスターの入った橙色のよくわからないスープ。脳が働くことをやめていたみたいで、もうよくわからなかった。でも、それが一番いい。よくわからないけど美味しい。もうそれでいい。たしか甘かったと思う。ブラックペッパーもかかっていたから、もしかしたら辛かったかもしれない。
おそらくこの頃かと思う。お腹いっぱいだな、と思い始めたのは。そして、きた。メインの肉が。3cm、いや、へたしたら5cmくらいあるんじゃないか?というくらいの厚い肉。誰もが思う最高の肉、ジブリ肉。それを超えてきた。おそらく私の人生史上最も厚い、未踏の肉を噛んだ。一瞬、理解が追いつかなかった。至上の厚みは、至上の柔らかさを兼ねていた。
人は、経験からある程度の未来を予測すると思う。食に関しても、この食べ物を食べたら食感はこうで、味はこう。という予測を、意識的にも無意識的にもするだろう。心のどこかで。至上の厚みに対して、私はそこそこの噛み切りにくさを予測していたんだと思う。しかし、至上の厚みは至上の柔らかさを兼ね揃えていた。予測とあまりにかけ離れた結果に、私の脳はまだ疑いを持っていた。もしかしたら、たまたま私の歯が分子と分子の間を通ったのかもしれない。噛んだポイントがたまたま良かったのかもしれない、と。しかし、二度目も私の歯は分子間を通っっていった。
これまでも、「肉」はたくさん食べてきた。美味しい肉も、そうでない肉も。そのすべての共通項は、「あー、米食べたい。」である。しかし、ウルフギャングの肉はそれがなかった。むしろ食べたくない。肉食べたい。この神域に他の何も入ってきてほしくない。この神域に入ってこれるのは、付け合わせのクリームスピナッチとマッシュポテト、追加で頼んだブロッコリーのソテーだけ。
最後に出てきたデザートは、渡し舟だった。一度天国へ行ってしまった私を此岸へと戻してくれる舟であった。六文銭を握りしめていて本当によかった。先輩にご馳走してもらったのでお金はまるで払っていないが、、最後のデザートのおかげで、現世に戻ってこれた。
店を出た私は、「あれ、ウルフギャングって本当にあるのかな。」と、ウルフギャング内で起きた出来事の記憶が薄れていくのを感じていた。しかし、手のひらを広げると店を出る時に渡されたキャンディーがある。そこに刻まれた、Wolfgang’sという文字。
ウルフギャングは、たしかに存在する。
以上
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