私は”書く”ことが好きだ。お気に入りのノートに、お気に入りの万年筆で”書く”ことが好きだ。但し、最近は”書く”ことの限界というかもどかしさというか生産性の低さというか細君というか、、、を感じることがある。そのことについて言及していきたいと思う。
私が感じた、”書く”ことの限界は、速度制限があることだ。まるで、こだま。東京から新大阪まで約4時間かかるこだまは、のぞみに乗ったことがある人なら誰もが思うでしょう。あれ、まだ名古屋なの?と。私は昔、新幹線についてまるで知識がない頃に、こだまに乗って東京から新大阪まで行ったことがある。以前、新幹線を利用した時の記憶では、東京から名古屋まで1時間ちょっとであったから、新大阪までは3時間掛からないだろうと。そんな甘い考えで乗った新幹線が、こだまだった。夕方に乗車し、新大阪についたら美味しいたこ焼きを食べるぞーなんて息巻いていた私が新大阪に着いたのは、すっかり日の暮れた20時過ぎだった。”書く”ことは、そのくらい遅いのです。いえ、遅いとはいえ新幹線でありそこそこは早いこだまの方がまだマシだ。
“書く”速度がどのくらい遅いのか、試しに1分間で何文字が書けるのかを検証してみた。結果は83文字だった。考えながら書き出したのだが、書くことを止める時間はまるでなく、書き続けて83文字だ。その間の考えるスピードは、書くスピードに合わせて遅くなっていたようにも感じた。
参考:
さて、それでは思考速度を緩めずに”書く”ことはできないのだろうか?例えば、タイピングも文字を書き出すことができる。しかし、こちらも速度の限界はあるだろう。個人的には”書く”より早い気がするが、思考速度よりは遅い。
そんなことを考えているうちに、ふと気づいた。
頭の中で考える時も、頭の中に言葉を書いているといことに。そして、頭の中に”書く”速度の限界が思考速度の限界であることに。
つまりは、頭の中で”書く”速度を上げれば、思考速度は上がるのだろう。もちろん、ノートやPCに物理的にアウトプットをすることも大切である。しかし、より根本にある頭の中で”書く”速度を向上させる方法を考えようという結論に至った。
それをいかに物理的に速くアウトプットするかについては、追って考えよう。
PostScript:昨日、先輩に理不尽に黙らされた会話を共有したい。
先輩「好きな食べ物ある?最近飯行ってないから連れて行くよ。」
私「ステーキとかですかね。シンプルで食材を楽しむ系が好きです。」
先輩「ウルフギャング。」
私「あっ!あーっ!、、、ウルフギャングってなんですか?」
先輩「あーっ!ってなんだ?言ってみろ。」
私「いえ、絶対違うので言わないです。」
先輩「いいから言え。」
私「人狼みたいなやつですか?」
先輩「余計なことをはさむな。ウルフギャングはステーキ屋だ。」
以上
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