世の中は”理不尽”で溢れている。時々、そう感じることがあるのではないでしょうか。しかし、あなたが”理不尽”を感じる時、あなたの”理(常識)”は自然界の法則からはずれているかもしれません。世の中に溢れていると思っていた”理不尽”は、実はあなたの頭の中にのみ存在するのです。
私と同じ世代であれば、あなたが初めて触った携帯電話は、きっとガラケーだったかと思います。キーパッドに付いたボタンを操作することで、電話をしたり、メールをしたり、ゲームをしたり、写真を撮ったり。それが、あなたにとっての”当たり前”であり、使い勝手のいい形式でした。そして突然、スマホが登場します。物理的なボタンはなく、タッチスクリーンが主でアプリが無数にあります。
登場当初は、
「こんなものが流行るわけがない。ガラケーの方が使いやすいに決まっている。」
と思っていたのではないでしょうか。しかし、今はスマホの方が圧倒的に使い勝手が良いと感じていることでしょう。
これがまさに、16世紀にニコラウス・コペルニクスが起こした「コペルニクス的転回」の感覚に似ています。彼の時代、人々は地球が宇宙の中心で、その周りを太陽や星々が回ると考えていました。これは、私たちがガラケーの使い方に慣れているのと同じくらい、彼らにとっては自然な考え方でした。
しかし、コペルニクスは全く新しい考えを提唱しました。地球は宇宙の中心ではなく、太陽の周りを回っているという考えです。これは、地球が宇宙の中心であるという当時の「当たり前」を覆すもので、大きな混乱を引き起こしました。しかし、この新しい視点は証拠によって裏付けられ、次第に受け入れられるようになりました。
これが「コペルニクス的転回」です。つまり、大きな視点の変化、思考の転換が起こり、それが新しい「当たり前」を生み出す瞬間のことを指す言葉です。そして、この「コペルニクス的転回」は今も私たちの科学、哲学、さらには社会全体に影響を与えています。これは一種のパラダイムシフト、すなわち私たちが世界を理解し、解釈する枠組みの大きな変化を示しています。
さて、最近私は”理不尽”だと感じる出来事を経験しました。恥ずかしいので詳細は書きたくありませんが、私の”理”には敵わない出来事を受け、理解ができず理由を深く考える時間が続きました。しかし、この”理不尽”は、私の中の”理(常識)”にそぐわないだけで、自然界の法則に則った”理”なのだろうと思えるようになりました。また一つ、成長しました。
以上
コメントを残す