今日は、社内公募に落ち、かつ、子会社に出向することが決まった27歳独身社会人男性の方にインタビューをしてきた。
今回の人事異動は、彼の思うような異動とはならなかった。過去にも今回のように、思うようにいかなかったこと、挫折はあるのだろうか。
それでは、彼の物語を書こうと思う。
初めての挫折は高校生。
大好きだったピアノを諦めた。
ピアノに出会ったのは小学3年生の頃。ピアノを始めるにはやや遅い年齢だったが、大好きだったこともあり、気づけば通っていたピアノ塾で一番上手に弾けるようになっていた。
しかし、田舎のピアノ教室には、これ以上に上達するための設備もなければ、教える先生もいなかった。
転機が訪れたのは、中学3年生の頃。
周りが進路を考え始めたとき、例に漏れず、彼も進路を考え始めた。
そして、自ら調べ、東京の青山にあるピアノ教室に通うことを決めた。
彼にはピアノしかなかったのだ。
青山にピアノ教室に通うのは、月に2回。
夜中の22時に夜行バスに乗り込み、朝5時に新宿に着く。そこから、電車を乗り継ぎ青山の教室へと向かう。
当時、彼は中学3年生。1人で夜行バスに乗り、誰一人知り合いのいない東京へ向かうのはとても不安だった。
東京に着いてからも、電車の乗り継ぎ方などわからない。当時は調べるためのスマートフォンもなく、人見知りながらに駅員さんに尋ねてまわった。
青山のピアノ教室は、厳しかった。
レッスンは朝の10時からだが、7時には近くのマクドナルドに着き、レッスンの予習をした。レッスンで先生を納得させられなければ、新しい曲は弾かせてもらえない。
はたからみると、中学3年生には辛いことばかりのようなピアノレッスンだが、彼は続けた。
それほどまでに、彼はピアノが好きだった。
ピアノのレッスンは月に5万円。貧乏な彼の家にとって、決して安くない出費である。
それでも、高校に入ってからも、時給700円のバイトをしてレッスン代を稼ぎ、通い続けた。
高校3年生になると、彼は東京芸術大学を志望した。
いつしか、プロのピアニストになるのが夢になっていた。
大学受験の時期になると、ピアノ教室に通う生徒は、教室の先生に大学教授を紹介される。
腕前を見てもらうのだ。
ここで、大学に入学できるかどうかが決まる。
プロになる前の最初の登竜門だ。
彼はいっそう努力した。
岐阜から夜行バスに乗って東京へ、通い続けた3年間。
彼は努力した。
両親も応援してくれた。
高校3年生の時、グランドピアノも買ってくれた。
そんな彼に、教室の先生は言った。
「今年は紹介できない。」
「そのレベルに達していない。」
高校3年生の11月25日
大好きだったピアノを諦めた。
つづく
その後、彼はピアノとは関係のない大学に入学。
何気なく入ったギターサークル。
そのギターに、救われた。
ピアノをやめたから、ギターに出会えた。
そう思えるようになったのは大学1年生の定期演奏会が終わったあと。
久しぶりに音楽を楽しんでいる自分をがいることを知り、泣いた。
以上
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